精神障害と完璧さを抱えることについて

日記

寄稿用に書いた文章です。採用はされなかったのですが、個人的に生活上頑張っているのでブログに掲載します。

完璧主義が自分を苦しめていることは理解している。

子供のころから、ゼロかイチかの思考しかできなかった私は、怠惰と勤勉を行き来して疲弊することが多かった。成長するにつれて、怠惰な部分は増えていき、最終的には、完璧にできていないと「できませんでした」という結果を報告するようになっていた。

看護師を志したことも影響していると思う。正しい行為をする、正しい知識を伝える。そう言ったことができなければ看護師としては失格だ。

ただ、それは仕事上の話であり、私の人生においては完璧に成し遂げなければならない何かは存在していない。私が、そう思っているだけに過ぎないのだ。

大学時代には二回の留年。社会人になってからは二度の休職。他人から見れば順風満帆には見えない経歴だろう。しかし、私はまだ、自分の人生を完璧に保たなければいけないと思っているのだ。今度は完璧に復職して、完璧に回復したうつ病患者として生活するのである。

しかし、自分の感性として、それはできない事も理解している。完璧じゃない私、完璧な私。この差を埋めることがとても難しく、埋めようとすること自体が完璧主義であることはわかっているものの、どうにかして埋まらないかという、考えを止めることはできないのだ。

一番良いのは、完璧でありたい自分をそのまま見つめることだろうか。

完璧でありたいと願う事は恥ずかしいことではない。はたから見れば、精神障碍者が何を言っているんだ、と笑われることもあるだろう。ただ、それは他人が言う事だ。

私は私が思う程度で完璧でありたい。完璧に見せたい。そう言った虚栄心がある。それは、人に害をなさない限りは、私の中で持っていてもいい感情だと思う。

簡単には消せない思いだ。だからこそ、自分がその完璧でありたい気持ちとどういって付き合っていくかを、自分で見つめることの重要さに目を向けて生きていきたい。

自分を客観視することと、自分のこだわりを守る事、そのバランスを保って生活をするのが、淡々と生きることのコツだと最近思っている。

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