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毎年1月2月は前職の繁忙期でして、毎日6時に集合して帰ってくるのは平均19時というハードスケジュールな時期でした。
それに重なったのがほぼ同期の急な退職、新体制の急な導入、新しいメンバー(複数人)の急な参入でした。何もかもが1月に詰め込まれて最低な状況だった。急にもほどがある。救いだったのは新しいメンバーが有能だったことです。
当然、経営陣との関係は悪化しました。もともと10月から続いていた新体制への要望が全く反映されず、職員でいつ辞める? と話が出ていたのがこの時期でした。
私もやめる気満々でしたが、契約社員だったので3月末までは契約解除ができず、冗談でなく泣きながら勤めることに。本当に職員がみんなで泣きながら仕事をしていたのですがが、いくら看護師って言ったってそんなことある? というような数か月でした。退職キメた職員からメンタルが回復していった。それはそう。
余裕のなさは一気に気持ちを追い詰めるんだなあ……、というのは今だからじっくり考えられることで、当時はとにかく仕事を無事に終わらせて帰ってくることで一杯一杯でした。
職員が少ないから、自分が抜けたらやばい! という気持ちもあり。自分が抜けて他の人に負担が回るのは避けたく、ここが踏ん張りどころとも思っていました。
実際は私が休んだところでどうにか回るはずだとも思ってはいるのですが、追い詰められている時の特有の思考で煮詰まっている状態でした。次回は追い詰められる前に冷静になろう。
というわけで、仕事に関しては繁忙が落ち着いた後に燃え尽き症候群になり、3月で休職をすることになります。これは次の記事で。
創作活動的には、3月の後半に推しカプのWEBオンリーを主催するために1月くらいから告知、2月にサークル募集をやっていたようです(Xでの断片的な記録を拾いました)。
このイベントはサービスを借りたわけではなく、Litlinkに作品のURLを貼り付けるタイプのWEBオンリーだったので、かなりお手軽なイベントでした。
フォロワーさんが拡散してくださって、サークルさんもそれなりに集まったと思います。仕事がぼろぼろだったので、それを表明しながらの準備でした。そして、にぎやかしに個人誌を出そうとして短編の原稿を始めた(突然の負荷)。
また、3月に別のカプで参加するHARUコミが控えていたので別の同人誌の原稿を書いていました。
これが結構な難産で、イベント締め切りギリギリまで書いていたこともあり、無駄にメンタルを削った気がします。
読み返すとすごくいい出来なんですが、気持ちが微妙に落ち込む😭 しかも、waveboxに他の推しカプ書けみたいな要望が来てちょっと落ち込んだりしていました。
仕事でメンタルがやられていた分、創作活動で現実逃避ができたかと言えばノーでした。むしろ欲張りすぎて首絞めていたな、と思う2月でした。
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